迷えるときにこそおすすめしたい。映画「夜に生きる」が描くのは自分の居場所についての物語

2017年6月1日

アイキャッチ

ギャングスターの栄枯盛衰やドンパチの映画なんかではなく、愛を求め、自分の生き方を追い求めるひとりの男の生き様を描いた骨太な作品。

ポスト・クリント・イーストウッドの呼び声も高いベン・アフレック監督・脚本・主演のすべてをこなしている力作です。

スポンサードリンク

記事中アイコン矢印つき

「夜に生きる」ざっくりあらすじ

禁酒法時代のアメリカ・ボストン。仲間とつるんで銀行強盗を繰り返すジョー(ベン・アフレック)は、街の新興のギャング団のボスの愛人と、絶対にバレてはならない密会を繰り返した。その恋がばれ、対抗するギャングに協力するジョー。新天地タンパで密造酒の事業を拡大させる。しかしカジノ建設に失敗したことで、ボスからの信頼を失ってしまうジョー。ボスとは敵対し銃撃戦まで発展してしまう。その後、ギャングから足を洗い、最愛の女性グラシエラと幸せな家庭を築いていくことを決意するが、その幸せな生活はそう長くは続かなかった…

以下、ネタバレします。

記事中アイコン矢印つき

「夜に生きる」はどんな映画ナンダロウ?

「夜に生きる」は、裏社会の知られざる一面を描き出すようなものではなく、流れていく時代の中で自分の居場所を求めて生きていく1人の男の生き様を描いた物語です。

時代設定は禁酒法時代のアメリカ。ギャングは密造酒で富を築き、街中で銃撃戦も日常茶飯事。主人公のジョー自身も銀行強盗で金を稼ぐならず者。でも、ギャングになるのだけは拒むポリシーをもっていました。

このジョーの生き方を通して描かれているのは、自分がいる場所についてです。

ぼくもだれでも、いま自分のいる場所になんかしらの疑問を持つことってあるんじゃないかと思います。この家に生まれていなかったら、いまいる場所ではないところに自分にもっとあった場所があるんじゃないか、今いる場所は正しいのか・・・そんな答えの見つけづら問題を物語のベースとしていていることで、主人公への感情移入ができます。

スポンサードリンク

記事中アイコン矢印つき

映画冒頭では、自分の居場所から逃げ出す

物語の冒頭、ジョーは仲間と結託して銀行やカジノを襲い、生きていく金を得ています。

ジョーの父親は街の警察幹部です。そんな家に生まれ育ったジョーが、いまや立派な犯罪者。そんな状況なので、父親との関係も当然うまくいっていません。

強盗を企てたり、ギャングの愛人と付き合ったりする様子は、そんな親や育った環境への反発心から表れている行動だということがわかります。

恵まれた環境に嫌気がさしたのか、窮屈だったのか理由はわかりませんが、どちらにせよ、そんな自分が育った境遇から逃れようとしているのが、ジョーです。

ちなみに画面に登場こそしませんが、ジョーが親しみと懐かしみを覚えて語るジョーの兄も同様に自分の境遇から逃げ出しています。

映画スターを夢見てハリウッドへと行った兄は長くスタントマンの下積みを積んだ後、最後は脚本家として映画デビューを果たします。

ジョーと道は違いますが、警察幹部という典型的なコンサバな家から、ハリウッドを目指した兄も、生まれながらに与えられた居場所に疑問を抱いた一人なのでしょう。

そんな兄にジョーが親近感を覚えるのもわかります。

さらにジョーは大きな銀行を強盗するのを最後に、故郷のボストンからエマと一緒に逃げ出そうとします。結局強盗には失敗。愛するエマも失ってしまいますが、自分の境遇を決定的に捨てたいという思いの最たる行動ですね。

記事中アイコン矢印つき

映画の中盤では、自分の居場所を自分で作る

その後ジョーは、ギャングの一味として人生を送ることになります。

冒頭では逃げ出すことに失敗したジョーが次にとる行為は、自ら作り出すです。

ポリシーを曲げてまで入ったギャング。新天地タンパを任されたジョーは、密造酒の事業を拡大させたり、新しく出会ったグラシエラと恋に落ち、結婚するなど、今度は自分のいる場所を自らの手で作り出していき、順風満帆に見えます。

事業は拡大、恋愛も順調に見えたジョーでしたが、そうはうまくいかないのが映画です。

禁酒法の時代が終わると先読みしたジョーは、次のビジネスチャンスとしてカジノ建設を進めるのですが、この計画が地元警察署長の娘・ロレッタによってつぶされてしまいます。

ロレッタはかつては純粋無垢な女性でしたが、ジョーが警察署長を言いなりにさせるためにヘロイン漬けにさせていたんです。

そのヘロイン漬けの時代の壮絶な経験を、実直に教会で信徒に説くロレッタには、熱狂的な支持が集まっていました。
そのロレッタがカジノ建設は人の罪であるとしたことで、ジョーの計画は頓挫してしまったんですね。

まあ、自業自得と言えば自業自得です。

そんなロレッタの言葉=神の言葉、としてジョーは受け止め、カジノ建設もしょうがないかという考えになっていたところ、ロレッタとふたりで話すタイミングがありました。

その時にロレッタが言ったのが「神は本当にいるんだろうか?」という言葉。

自分の居場所がなくなってしまうことが、運命だったらしょうがないですが、そうじゃなかったら、じゃなんなのだろう。いままでの自分が築き上げてきたものはなんだったのか、割り切れない思いに多いに迷ってしまう展開です。

記事中アイコン矢印つき

映画の最後では、自分の居場所を認める

カジノ建設を失敗に終わらせてしまったジョーの仕事にしびれを切らしたギャングのボスが、
ジョーを殺しにタンパにやってきます。

激しい銃撃戦の末、ボスとその一味を返り討ちにするジョー。

目の上のたんこぶがいなくなり、ここからジョーの天下じゃん!と思うところですが、
ここでジョーはすべてを仲間のディパオに譲って、自分はギャングから足を洗います。

ギャングとして築き上げた自分の居場所に意味を見いだせなかったジョーは、愛するグラシエラと幸せな家庭を築こうとします。

そんなときかつての恋人エマが生きていることがわかります。
で、会いに行くんですね。

何年振りかに会ったエマからは、かつての恋人同士だったというふたりのつながりを確認できるような愛情や感情はなにも感じられませんでした。

会いに行ってどうするんだろう、と思ったんですよね。
この時点でグラシエラとジョーの愛の深さは丁寧に描かれていたので、
そんなすべてを捨ててまで、若き日の想い人を選んでしまう展開なのかとも思いました。

でも違いました。

映画の終盤で描かれたこのシーンは、ジョーの変化を表わしているシーンです。
映画の序盤でジョーが愛した女性を受け入れないシーンを作ることで、
決定的に変化したジョーを描いていたのでした。

さらにジョーの物語のとどめを刺す出来事がは続きます。

ギャングからは足をきっぱり洗っていたジョーですが、だからといって過去がなかったものにはなりません。
かつてギャング時代にヘロイン漬けにしたロレッタ。その父親は、娘が変わり果ててしまったころから精神に異常をきたし始めていました。

その父親が幸せに暮らすジョーの家庭に銃撃を行い、妻のグラシエラは撃ち殺されてしまいます。

残された息子と二人で生きていくことになってしまったジョー。
悲しみに打ちのめされます。

そんなジョーに息子が問いかけます。
「天国はどこにあるの?」

まだ小さかった息子に対して、きっと亡くなったママのについて、天国に行ってしまったんだよ、と教えていたのでしょう。

だから息子は天国がどこにあるのかジョーに聞きました。

映画のラストシーンは、その息子の質問に対するジョーの答えですが、
そこにジョーが見つけた自分の居場所に関する答えが詰まっています。

ジョーはこう言いました。

「ここだよ、天国はここなんだ。ぼくたちがいるところが天国なんだよ」

自分の居場所から逃避するような行為ばかり繰り返していたジョーが、
さまざまな経験を積むことによって、自分のいまいる場所を受け入れる人間へと変化していました。

自分の置かれた環境や境遇をどうとらえるか?
文句ばっかり言っていてもはじまらないし、逃げていてもしょうがない。
受け入れたうえで、どう生きていくべきか?

観る側に、そんなことを問うている映画でした。

映画を
映画の途中インサートで入る夕景や熱帯雨林を流れる川の遠景など、映像が本当にきれいな映画でした。
まさに、いまぼくらのいるこの世界が天国なんだ、と言っているような映像美でした。

映像のすばらしさは、一見の価値があると思います。

スポンサードリンク

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

Twitter で

PAGE TOP