今宵も話半分で…

平野啓一郎「空白を満たしなさい」を読んでMOROHAを思い出す。人生の生き方とは?

   

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人という新しい人間観を創作のコンセプトに執筆している小説家・平野啓一郎。

本作「空白を満たしなさい」もそんな分人主義Divisualという考え方を根底に据えながら、
蘇りを果たし2度目の人生を送ることになった人間を描いた作品です。

自分を、人間をどう捉えるかという人間観についての話ではなくて、いかに生きるべきかの生き方について深く考えさせられるお話でした。

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「空白を満たしなさい」ざっくりあらすじ

あらすじ
製缶事業を行う会社に勤めていた土屋徹生。実は彼は3年ぶりに生き返った復生者だった。自殺として処理されていた自分の死によって遺された家族や親、友人たちは深く傷つき、そして立ち直ろうとしていた。自分の自殺を信じられない徹生は、死の真相を探るべく行動を始める。生前、佐伯との間にあった軋轢から佐伯が真犯人なのではと調べ始める。死の真相を知り、新しい生活を歩み始めた頃、復生者たちが再び消え始めていることを知る。そんな死んだ後の人生を生きることになった徹生が至ったのは…

※以降、ネタバレしてます。未読の方はご注意くださいまし。
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「分人」は設定上でてくるけれど…

平野啓一郎さんの著作といえば、「決壊」から作品のコンセプトになっている分人Divisualという考え方が特徴的です。

「空白を満たしなさい」でも人をひとつの分けられない個人としてみるのではなくて、分人といういくつもの自分がいることによって、徹生は自殺してしまったという物語になっています。

しかし、分人主義について紐解いていく物語ではありません。
よりよく生きることへの向き合い方、人生に対する向き合い方を主人公である徹生の行動や思考を通して、考えさせられる作品でした。
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生まれ変わり、そしてやり直す

正しく生きたい、自分が思うような生を全うしたい。

そう強く願う徹生は、そんな自分の願いを果たすために邪魔になっている分人を消し去る行動を起こします。それが結果として自殺することになってしまった徹生なりの理由です。

実際に自殺未遂された方の話を聞くと、なぜ自殺に至ることになったのかわからないということが多々あるようです。

「空白の30分」などと言われ、自殺の直前に自分でも理解できない感情が想起し、衝動的に自殺していることもあるようです。

そんな「空白の30分」のような制御不能を、分人のひとつである自分が、ほかのすべての分人を制してしまうことによって引き起こしたものであると本作ではしています。

確かに個人として一つしか自分がないならば、いつだって自分は自分。

自分の行動が説明できない、何てことが逆に説明できません。

でもぼくたちは自分でも説明できないことに直面することがあります。

それは、人間は分割不可の個人が最小単位ではなくて、さらに分割できる分人という要素で成り立っていると考えることで説明することができます。

「空白を満たしなさい」は、そんな理由で自殺してしまった男が、もう一度生き返ることで変化していく物語です。

人が分人であるという考え方を理解して、受け入れるシーンはありますが、物語はそこでは終わりません。

受け容れた先に、じゃあどうやって生きる?どうやり直す?そんなところを描いているのが「空白を満たしなさい」の特徴です。

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「死」によって「生」が尊くなる

徹生は生まれ変わりを果たすことで、通常生きていたときには考えることのなかった想いに至ります。
自分が実はどういった人間だったのか、妻の愛だったりとか、周囲の人の優しさだったりとか。

2度目を生きることで、失ってしまったことを自覚することで、はっきりとした意思や目的をもつことができるようになるんですね。そういった気持ちはすごく理解できると思います。

覆水盆に返らずの悲しみは全人類共通の悲しみです。
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終わりよければすべてよし?

自分が自殺したという事実を受け入れ、そして乗り越え、また新しい人生に臨もうと前を向き始める徹生。
そこには同時期に生き返ったひとりの人物の言葉が大きな影響を与えています。

火災現場に残された人のために、身を賭して救助に向かい命を落としたラデックさんは、死後自分のイメージが英雄的扱いを受けていることに戸惑っていました。

彼は言います。

私の死が、私の罪の数々を帳消しにし、私の人生を全面的に肯定するなんてことがないように、あなたの死が、あなたの行った素晴らしいことをすべて台なしにして、あなたの人生を全否定するなんて、そんなことは決してないのです。決してありません。
「空白を満たしなさい。」p.302|平野啓一郎
どんな人生でも、死に方さえ立派であれば、立派な人生だ。それは、人を破滅させる思想です。戦争になると、政治家はこの考え方を徹底させます。たとえこれまでの人生が不遇であっても、最後に国家のために戦って死ねば、国家は立派な人間として、あなたの人生を全面的に肯定する、と。恐ろしい、卑劣なそそのかしです。…私は、苦しみに満ちた人生を送ってきた人間が、死に方一つで、最後にすべてを逆転させられるー自分の一生を、鮮やかに染め直すことが出来ると夢見ることに同情します。その真剣な単純さを愛します。自分は表面的には違っていても、本質的に立派な人間だったのだと、最後に証明しようとすることを理解します。しかし、賛同はしません。
「空白を満たしなさい。」p.304|平野啓一郎

死ぬ間際に、頑張ってもダメだ、帳尻を合わせようとしてもダメだって言うんですね。
それは錯覚であり、自己満足であり、本質的には違うのだと捉えています。

人生って短いようでいて、やっぱり長い。

最後だけなにかしたって、最後だけいいことしたって、それまでの出来事がすっかり良いものになるわけではないんです。
その逆もまた然りです。

ラデックさんのこの言葉を聞いて、ぼくはMOROHAの「三文銭」を思い出しました。

MOROHAはポエトリーリーディングという、詩の朗読のようなメッセージを歌い上げるアーティストです。
youtubeのおそらく公式PV「三文銭」の中でヴォーカルのアフロは歌います。
(※歌詞検索には載っていないのでアドリブかもしれません)

俺 俺 この間こんなこと言われた
人生は一円つなぎのオセロだって
生まれた瞬間に喜びの白を置き
その後 痛み苦しみで黒が並ぶ
それでも もう一度だけ 死ぬ間際でもいいから
もう一度喜びの白を置けたら
これまでの黒は綺麗にひっくり返るって
俺 この間そんなこと言われた
ふざけんじゃねえって思った
そんな簡単なんじゃねえんだって思った

このあと人生をまっとうに生きることをロックンロールに例えて歌う姿には、やっぱり普段の1日1日がすべて人生なのであって、そこを一歩一歩進んでいくことこそが強さなのだと歌っているように見えます。

ラデックさんが言わんとしたことも、きっとこうなのだと思いました。

終わりがいいからいい人生だった、じゃ寂しいじゃないですか。

はじまりから終わりまで、すべての日々が人生で、
そんな毎日をどう過ごすかが大切なんですよね。

終わりよければすべてよし、という考え方にすがってしまうことは、
そんな毎日の人生をないがしろにしかねない考え方なのだと。

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再びの死

物語は、前向きにいき始めた徹生の前に事件を起こします。
同時期に生き返っていた人々の謎の失踪、そしてそこからわかるのは自分の2度目の死が間近であること。

小説の中では、その瞬間まで描くことはありません。
この小説の最大の謎でもある、「なぜ生き返ったか?なぜ再びいなくなるか?」も解決しません。

それは、そこを紐とく必要がないからですね。

ただ今度の死について徹生は、ひとつの考えに至ります。

死んだ人間は、生きている人間を圧迫すべきじゃないんだ。人間は、限りある命で、出来るだけ自由に生きるべきだ。だったら、死者は進んで無になるべきじゃないだろうか?完全な消滅までの時間を徒らに、長引かせてはいけない。それこそが、生き続ける人間への最後の愛じゃないだろうか?
「空白を満たしなさい。」p.478|平野啓一郎

ふたたび残されることになる千佳や璃久に対して抱いた気持ちです。。
希望を与えるだけ与えておいて、ふたたび失わせることに対するやるせない気持ちと迷いが見えます。

そして死への受け入れ方のひとつの結論にたどり着いています。

1度目の死は衝動的でした。
しかし2度目の死は、かくも自覚的です。

「空白を満たしなさい」は徹生が自分の空白を満たしたように、
2度目の人生を生きた人を描くことで、生きるとはなんなのか、どう生きればよいのか。
そんなことが伝わってくる一冊でした。

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「空白を満たしなさい」抜き書き差し書き忍び書き

ずっと会ってなかった馴染みにとって、「どこかにまだいる」ことと、「どこにももういない」こととは、一体、どう違うのだろう?2度と会うことも、連絡することもない人は、死ぬ遥か以前から、実は死んでいるも同然なのではないだろうか?
「空白を満たしなさい。」p.62|平野啓一郎
人に誇れる本物の幸福は、お金でも運でもなく、疲労で手に入れたものじゃないか。僕は幸福でした。でも、僕はその分、疲れてました。だからそれは、必ずしも幸福じゃない人も、きっと認めてくれるものなんじゃないか。くたびれ果ててるからこそ、僕には幸福になる資格があると、信じたい気持ちがありました。
「空白を満たしなさい。」p.388|平野啓一郎

☆幸せかどうかの判断を、人との比較や人からの評価で判断しようとすると、決められなくなる。疲労はそんな人の価値観によって生まれる幸福感の象徴。「空白を満たしなさい」ではそんな幸せを感じるそもそもの尺度を、自分がもう一度生きることで見つめ直しています。

どんなに幸せであっても疲れる。
「空白を満たしなさい。」p.389|平野啓一郎

☆楽しくても嬉しくても息抜きでも、行動・活動すれば体は疲労する。そんな疲労が蓄積すると心にも影響を与えるのではないかということを徹生は感じました。充実した時の疲労は質が違うと秋吉さんは反論もしていましたが、それこそ気の持ちよう。気分が変われば、疲れも変わってしまうという曖昧なことになります。この疲労に対する考え方は、当たり前すぎて気づいていないひとつの真実なのかもしれません。

<記憶>、<記録>、それから<遺品>、<遺伝子>、そして<影響>です。
「空白を満たしなさい。」p.408|平野啓一郎

☆亡くなった人が世界に残すものとして徹生が考えた5つの分類です。遺族や出会った人の中に残る「記憶」、SNSやメディアに残される「記録」、その人を思い出させてくれるモノや場所などの「遺品」、子供として残る「遺伝子」、生前の行動や創造によって後世に与える「影響」。人は意識したものに脳が反応することが多いです。自分が日々残しているものがなにか気にすることで生き方もちょっとだけ変わるかもしれません。

喪の作業 大切な人が亡くなったあと、その悲しみを乗り越えるためのプロセスです。死を事実として受け容れ、個人を思い出すことを”喜び”と感じられるようになるまでの。
「空白を満たしなさい。」p.419|平野啓一郎

☆池端が千佳の異変を気にして相談した徹生に返した言葉。

人生には、そんなに同じことが何度も起きるわけじゃない。いつも一回だけ起きるものだ。その一回に何をするのか、それこそが、その人なのではないか、と。
「空白を満たしなさい。」p.442|平野啓一郎

☆徹生との会話に返信したラデックさんの言葉。このあとラデックさん自身は、この考えに対して、人生で行う全てが人間性に対する試煉であるという徹生の考え方に、過酷すぎるのではないかと思うと伝えています。

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