伊坂幸太郎『夜の国のクーパー』猫から目線の人間の話

夜の国のクーパー表紙

こにあるのかわからないけれど、どこかにありそうな国の物語。

それが伊坂幸太郎10冊目長篇書下ろし『夜の国のクーパー』です。

本帯のキャッチコピーは、

「これは戦争、そしてなにより、世界秘密のおはなし。不安に覆われた〈夜の国〉に、救いの光は射し込むか?」(な、長い…)

『夜の国のクーパー』おすすめポイント

伊坂作品お得意の伏線が大好物なぼくみたいなタイプは、十分楽しめる1冊です。

さらに今作は小説でなければ表現できない方法でのトリックもあって、クライマックスの事件解決に使われます。

戦争や指導者による国民の統制をモチーフにしながら、そんなときに小市民のぼくらはどう考えるべき?どう行動するのがいい?といったテーマを書いていると思われますが、

「自己犠牲・滅私奉公」の話が形を変えてなんども繰り返されるところが印象的でした。

そして「出かけたら、ちゃんと帰る」そんなシンプルなことの大切さに、改めて気づかされるのが伊坂作品の特徴で、読後にほんのりとさせられてしまう、伊坂作品を好きになってしまうポイントです。

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『夜の国のクーパー』抜書き差し書き忍び書き

夜の国のクーパー本文01

欠伸とは、心のままにならない行動なんだ。

冒頭に出てくる一節です。全てを読み終わった後に思いましたが、「本能的に動く」ことに対して「理性的を働かせる」こと、二項対立もひとつのテーマになっていました。

“太古の指令”によってネズミを追いかける猫とネズミの関係性、自分のことを考える王様と国民のためにクーパー退治に出かける兵士…心のままにならないことに対して、どう向き合うかが本書で繰り返し描かれているテーマです。

どうにか視線によって敵を焼き殺せぬものか、と念じるかのような、そういう睨み方だった。

伊坂幸太郎らしい小説でしか描けない表現。でも伝わる書き方が好きです。

いざという時のために準備をし、責任を取る覚悟を持っていることが、偉い人間の唯一、やるべきことだろう

こういう上司がいると現場は動きやすいですよね。自分がリーダーとなったらこう振る舞えるように肝に銘じておきたいです。

可能性が残っているんだとしたら、それに賭けてみたくなるものなんだ。そうだろう?

人の本質を突いたようなことを突然差し込んでくるのも伊坂流です。

まさしく「溺れるものは藁をも掴む」状態を言い換えています。定番のことわざも伊坂幸太郎にかかると、今回のモチーフになっている統制の文脈の中に使われる人心掌握術として利用されます。

人間たちの決闘があろうとなかろうと、戦争があろうとなかろうと、空にはほとんど影響がない

空と比べられてしまうと、人生のすべては些事に感じてしまうから不思議です。空はそれだけいつも変わらず青く不変です。

何が正しくて、何が誤っているのか、自分で判断しろ。

正しいとか正しくないとかっていうのは、物事の本質ではないんでしょうね。人それぞれ見方や立場が変われば同じ物事でも正しくなったり正しくなかったり、いろいろです。
同じ小説を読んでも、悲しく感じたり楽しく感じたり読後感は人それぞれ。人によって違います。
同じ人でも、読むタイミングや機嫌によっても受け取り方が変わってきますし。

どんなものでも、疑わず鵜呑みにすると痛い目に遭うぞ。たえず、疑う心を持てよ。そして、どっちの側にも立つな。一番大事なのはどの意見も同じくらい疑うことだ。

上記の言葉に近いです。意見そのものに正しい正しくないはないので、見方をフラットに保つことが大事だったりします。

正体がばれぬように、透明となって、知らぬうちに他の人間を救おうとしている。そういうことだ。

クーパーの兵士の伝説には、帰ってこないクーパーの兵士は透明になっていざというときに助けに来てくれるという言い伝えがありました。実際には透明人間になったわけではないのですが、それでも人に気づかれない姿で国を助けに戻ってきました。そんなシーンでの一節。

自分も知らず知らずのうちに透明な誰かに助けられていることがきっとたくさんあることに気づかされます。

夜の国のクーパー本文02

出かけたら、ちゃんと帰る。そういうものだろう。

伊坂幸太郎作品のこういう言い回しが好きです。もうシンプルすぎて普段は気にしないくらいのことが、一番大切だったりする。

生きるのに空気が一番大切なくらい自明のことを、改めてさらっと言ってのけるところ。自分の脳みそがハッと気づく感じがわかるんですよね。「ユリイカ!」みたいな感じで。

ほんのわずかでも相手に寄り添おうと向きを変えれば、二つの線はいずれ、どこかで交錯するかもしれない。可能性は残る。

心の持ちようで少しずつ未来は変えることができるんです。そして、可能性があると人はそこに賭けようとする。前半に出た言葉がここにもつながっています。

『夜の国のクーパー』おまけの抜書き

クーパーの意味がはっきりとはさせずに終わるんですが、ヒントはくれています。

私のようにふらふらとこのあたりに流されてきた何者かが、私たちのような人間の誰かが、この杉を見かけ、「クックパイン!」と指差したのではないか。それを耳にしたこちらの国の人間たちが、「クーパー」と聞き間違えた。そう考えられないか?

タイトルになっている言葉の意味を、ふんわりとさせたままにしてしまうところも好きです。

「夜の国のクーパー」をハードカバーで読んだんですけど、ハードカバーには珍しく作者・伊坂幸太郎によるあとがきが付いていました。
その中からもひとつ抜書き。

そもそも、登場人物の命名について最上のお手本は、(僕にとっては)大江作品以外にありませんから、他の僕の作品もたいがい影響を受けていると言っていいかもしれません。

伊坂作品は登場人物のネーミングを大江健三郎作品を参考にしているようです。『夜の国のクーパー』の登場人物である「頑爺」や「複眼隊長」は、大江健三郎『同時代ゲーム』に出てくる「アポ爺・ポリ爺」「無名大尉」などに由来しているそうです。
ネーミングだけでなく、

あの(目くるめくような傑作である)『同時代ゲーム』を読んだ体験を、振り落とされないためにしがみつくようにして、必死に読み進めた読書体験を、何度も思い出しました。

とあとがきの中でも語っている『同時代ゲーム』を読んでみたくもなりました。

読み終えたらあの名作を誰もが思い出す

「猫と戦争、そしてなにより世界の秘密の話」を描いた『夜の国のクーパー』は、出かけたら帰ってくるという、聞いたらなんだかほっとする行為を肯定してくれてるところが好きですね。

毎日だれでもやっている行為をピックアップして自己肯定してくれるところが、読んでいて心地よい気分にさせてくれます。

自分のやっていることを肯定できて、自信を持つことができれば、自己犠牲の精神を持つこともできそうです。自分の欲や利益のためだけに動くことがどれだけ寂しいものかも感じることができます。

自分の欲や利益のためだけに動いていたのが今作では統治者側の人々だったわけですが、彼らが国を治めるために採用した手法が「仮想の敵を作る」方法でした。

外敵の存在を作り出し、外敵に立ち向かう自分を演出することによって自らの支持を得るやり方、最近どこかにいますね、この手法で国の大統領になろうとしている人が。

昨今のそんな時勢も背景にあったので、より風刺的にも『夜の国のクーパー』を読むことができました。

世の中を風刺的に描い(ているような)ストーリーと、事件を解決するオチに使われたネタを見たら、あの名作を誰もが思い出すこと間違いなしですが、完全なネタバレになるので気になる方はどうかご一読くださいまし。あ、でも「吾輩は猫である」ではないです。

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