桜坂洋原作のライトノベル「All You Need is Kill」を原作にした映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」。
死んだらタイムループしてしまう地球侵略モノSFで、「日本原作、トム・クルーズ主演」ということで話題になった2014年のアメリカ映画です。
CGを駆使した戦闘シーンはもちろん、テンポのいいタイムルームの演出とトム・クルーズの軽妙な演技、エミリー・ブラントの逞しい美しさなど、普通に十分おもしろく見ることができます。
が、見終わって何かもの足りない気分になりました。
何だろうなー?何だろうなぁ?
と思ったんです。
ラストの辻褄がよくわからないとか、そういうことじゃなくて、根本的なところが何か足りない。。。
で、その足りないもの、
それは漫画「はじめの一歩」で、一歩のセコンド鴨川源ニの言葉に答えがあることがわかりました、という話。
この記事でわかること
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」ざっくりあらすじ
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」はこんな話
数あるタイムループモノの中でも
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」の特徴はやっぱり「死んだら時間を遡る」ということですね。
なので、普通の映画だったらありえない主人公が死んでしまうシーンが、次々と出てくるわけです。
「何度も何度も死ぬこと」は、まるでゲームをコンティニューしながら進めるみたいな感じです。
さらに物語を、徐々に徐々に解決に向かわせるシーンチェンジャーの役割を果たします。
一方で、何度でも生き返れるんだと思えば思うほど、回数を重ねれば重ねるほど、死に対する感覚麻痺させていきます。
登場人物たちにとっても、見る人にとっても。
実際映画の中でも、怪我をしたら回復させないで殺してしまったり、ちょっとうまくいかないと死んでやり直したりをトム・クルーズがちょっと休憩しようか、くらいな気分でやります。
ゲームのリセットという行為に、死を重ね合わせた現代的な解釈ですね。
ひとえにこの映画、その特徴を活かした結末に落ちていないんですね、映画のラストが。
タイムループモノの傑作
映画評論家・町山智浩さんの評論を参考にしますが、、
同じタイムループモノに「恋はデジャ・ブ」と「エイトミニッツ」があります。
「恋はデジャ・ブ」は、ビル・マーレーがある同じ1日を繰り返すことになってしまうお話。
「ミッション・8ミニッツ」は、死者の死ぬ直前の8分間の意識に同調し、何度も何度も同じシーンを体験する疑似タイムループの話。
「恋はデ・ジャブ」の方は、同じ1日を繰り返すことがわかった最初は、自分のやりたい放題に1日を過ごす男がいるんです。でも、女性を口説いてうまくいっても、なにか悪さをしても、翌日にはなにもなかったかのようにもとに戻ってしまっている。そんな1日を何日も何日も繰り返すうちに、世界に生きている人みんなにそれぞれの人生があって、自分の人生ばっかりが大切なんじゃないってことに気付いていく物語です。
「ミッション・8ミニッツ」は、「恋はデ・ジャブ」に影響を受けていて、何度も繰り返される8分間のうちに、死んでしまう人々に最高の8分間を送らせてあげようとします。人生が8分後に終わってしまうとわかっていたら、1分1秒を大切に生きるでしょ、と強くメッセージするお話しです。
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」には、そういった映画を見た僕らの心にずっしり残るようなメッセージがないんですね。
(※あるのかもしれない。でも描けてない。もしくは描いていない。)
映画を2時間観てそのおしまいが、地球は侵略されませんでした、ハッピーエンドでした。めでたしめでたし。ってそれだけじゃ、さびいしいじゃないですか。
もっと、人生の2時間を使って見た僕に、残りの人生の時間の使い方を少し変えてくれるような何かをください。
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は、軽薄で人として尊敬できない男が、ある日特殊な能力を身につけてヒーローになる話です。
脚本術のバイブル「SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術」によれば、こういったケースの話だとすると、主人公の男は最後にその特殊な能力をなくしてしまうんですが、映画の最後にもっとも大きな困難に自分だけの力で立ち向かい、そして困難を乗り越えます。そこに人を惹きつけるカタルシスがあるからです。
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」もそんな風に考えると、実はうまくハマります。
戦争の最前線に出るのを嫌がる普通の人・トム・クルーズは、タイムループできる特殊能力をゲットして、その力を使って困難を乗り越えていきます。徐々に人として成長しますが、最後の敵に向かう直前、その力は失われてしまいます。
で、この映画が物足りないのはここからです。
実際の映画では、仲間とともにラスボス・オメガをなんとか倒し、その倒した際に再び得たタイムループの能力で、仲間のいるハッピーエンドな世界での人生を歩みだす、というところで終わります。
このままだと、無事解決、一件落着。でしかないです。
じゃ、どうすればいいのかって話です。
シンプルに考えると、いままで何度も生き返ってきていた「オール・ユー・ニード・イズ・キル」ならではの切り口が、前振りになります。
何度も生き返れることで、死に対する畏怖とか、やり直しに対する感覚とか麻痺している。
でも現実はやっぱりそうじゃない。一回死んだら取り返しはつかない。
だからこそ、たった1つの命を賭けて目の前のことに全力を尽くそうよ。
というような結末描けそうです。
これって、SFの中の話だけじゃないですよね。僕らの世界でも考えられることです。
自分ごととして、シチュエーションを置き換えて考えることができるから、感情移入できるし、共感できるんですね。
映画にはそこまで観ている人に歩み寄っていないし、描き続けてきた死に対する緊張感もないんですよね。
そこがこの映画の足りないところ。
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」に足りないものが「はじめの一歩」にあった
この一度きりの人生だから、というのをかっこよく言い切ってくれているのが、漫画「はじめの一歩」の鴨川源二です。
「はじめの一歩」第1156話「一度の生の中で」。
猫田は鴨川源二と長年のライバル。
生まれ変わっても勝負を挑んでやると言う猫田に対して、
来世はないという鴨川。
生まれ変わりなんか必要ないと語る鴨川源二の人生観を強く表したのが次の言葉です。
生まれ変わると思うと
手を抜く
もう一度あると思うと
甘えが出る
反省はするが
一片の悔いも残さん
一度きりだからこそ
全力で生き抜く
これを上回る
人生など無いと
棺桶の中で
小さく拳を握って
灰になるわい鴨川源ニ
これですよ。この精神が、映画の最後のトム・クルーズにも欲しかった。
散々タイムループしてきたトムだからこそ、この一回だけの命に全てを賭けることの大切さを、心の底から感じて挑むことを表現できたんじゃないかと思うんですよね。
タイムループができなくなったことを自覚した段階で、ラスボス・オメガを倒しに向かったら、今度こそ死んでしまうかもしれない。
でもたった1つの命だからこそ、人類のために、リタのために、全力を尽くすことこそが大切なんだっ
死に対する自覚をはっきり描くことができれば、仲間が身を盾にして特攻する道を作ってくれるシーンとか、リタが自分の身を犠牲にしてまで囮になってくれるシーンの死というものの重みも違って見えてきたはずです。
そんな決意や気持ちを胸にラスボスに向かってもらって、そして見事敵を倒すことに成功すれば、
世界を救えたよかったね、ハッピーエンドだね。
っていうだけじゃなくて、
一度しかない人生だから精一杯生きることって、悔いなく生きることって、やっぱり大切なんだよね
っていう、いまを生きる人が自分のこととして受けとれる、作り手のメッセージが伝わるんじゃないかと思うんですよね。
当たり前のことだけど、それを物語に乗せて語るのが映画だったりします。
そういう映画は心に残る映画になるんだと思うんですよね。
だから僕としては、その部分が足りなかったなと感じました。
原作のライトノベル版の結末はちょっと違って、タイムループの仕組みを絡ませつつ、自己犠牲の尊さを描いたものになっているので、それもおもしろい思います。
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